蝶とピエロの記憶――三岸好太郎美術館

三岸好太郎美術館 道化役者 memories

ヴァトーの《ピエロ》に出逢って、心の奥底にしまい込んでいた記憶が蘇る。

2024年8月、三岸好太郎美術館で《道化役者》を見たときの、あの衝撃。

ことばにしたかったのに、いつのまにか時間だけがすぎていた――。

30年ぶりに訪れた、美術館の記憶

近代美術館で《鳥獣戯画》を観たあと、ひと休みしようと近くの公園へ向かった。

外は快晴で、汗ばむほどの陽気。

人でひしめく展示会場に少し疲れて公園のベンチに腰をかける。

こもれびとやさしい風が心地よくて、鮮やかな緑の隙間からしばらく空を眺めた。

そのまま帰るつもりだったのに、ふと「もう少しだけアートに浸っていたい」と思った。

公園を抜けると三岸好太郎美術館がある。

ここを初めて訪れたのは、約30年前の修学旅行。

美術が得意じゃなかったわたしは、あのとき――

「蝶の絵が色とりどりで綺麗だった、デスマスクが怖かった。」

そんなふうにしか思えなかった。

30年ぶりの再訪。

あのときの感覚は、まだ残っているだろうか。

入口を抜けた先に、《飛ぶ蝶》の絵が現れた。

…あれ、こんなに大きかったっけ?

変わらず鮮やかで美しい。

でも、今のわたしの目にはどこか切なさがにじんで見えた。

展示を巡りながら、以前ほんの少しだけ調べた北海道の美術史の断片が頭をよぎる。

フォーヴィズムやキュビズムが日本に入ってきた頃、その影響が三岸好太郎にもあったこと。

その空気がキャンバスの端々から伝わってくる気がした。

《道化役者》の前で立ち尽くす

やがて、ピエロの絵ばかりが並ぶ展示空間にたどり着く。

どのピエロも、どこか覇気がない。

陽気な衣装をまとっているのに、みな疲れたような、寂しげな顔をしていた。

そのなかでも《道化役者》と目が合った瞬間、わたしは足を止めた。

巨大なキャンバス。

両腕と片足を挙げたピエロがポーズをとっている。

一見すると楽しげな動き。

でも衣装の赤は黒ずみ、顔色は沈んでいた。

白い帽子と床の黄色がやけに眩しい。

「なんだか、この人…無理しているみたい。」

次の作品に目を移そうとしたとき、キャンバス下部に描かれたたくさんの黒い円に気づく。

観客たちの顔だ。

単純な線描で描かれているように見えて、ひとりひとり違う表情をしている。

もういちど、ピエロを見る。

彼は綱渡りをしていた。

観客はその姿を下から見上げている――

けれど、わたしは最初からピエロと“同じ目線”にいた。

それがわかった瞬間、胸の奥に何かが落ちた。

わたしは彼に自分を重ねていたのかもしれない。

人に笑顔を見せながら、ぐらつく綱の上で必死にバランスを取っている誰か。

陽気な衣装を身にまとっていても、本当の気持ちは知られない。

それは――今の自分だった。

その絵の前で、しばらく動けなかった。

忘れられずに、手に取った図録

展示を一巡して、出口へ向かう。

でも、あの《道化役者》の絵が頭から離れない。

カフェに併設されていたショップへ引き返す。

じつは、さっきの展覧会でも図録を買ったばかり。

荷物が重くなるのはわかっている。

それでも、どうしてもこの衝撃を持ち帰りたかった

そしてわたしは先ほど買った図録とほぼ同じサイズの図録をもう一冊買い、カバンにしまった。

とても重かったけれど、足取りは少し軽くなっていた。

記憶の蝶は、まだ飛んでいた

《道化役者》が掲載されている図録の表紙には、30年前の記憶《飛ぶ蝶》が描かれていた。

その色を残したくて、図録をもういちど開いた。

これは2003年、三岸好太郎の生誕100年を記念して作られたものだった。

わたしが手にしたのは、2024年。

そのあいだに流れていた時間が、そっと蝶の羽ばたきで結ばれたような気がした。

飛ぶ蝶 三岸好太郎

あの時のわたしと、今のわたし。

ふたつの時間が、静かに重なったような気がしている。

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