2024年8月。
車から降りると、ギラギラと太陽が照りつけた。
日差しを避けようと足早に木田金次郎美術館へ入館する。
今回の展覧会は開館30周年を記念し、作品展示数は過去最大規模だという。
ずっと訪れたいと思っていたこの場所で、ついに彼の作品たちと向き合える──
そう思うだけで、胸が高鳴った。
絵筆の痕跡に宿る模索の姿
ゆっくりと館内を巡る。
筆致がキャンバスの上で隆起しているような絵を見て、次第に印象派のモネのようだと思いはじめた。
実際に目の前にあるのは、木田金次郎が活動拠点とした北海道岩内町の風景を描いた作品たちだ。
なかでも驚いたのは、並んで展示されていた2枚の肖像画。
まるで別人が描いたかのようにタッチが違う。
一貫性よりも、その時々に「絵をどう描くか」を試行錯誤していた様子が伝わってくる。
西洋美術の様式に当てはめて語ることに賛否はあるかもしれない。
でも、あらゆる技法を模索しながら絵に取り組んでいた彼の姿勢は、結果的にそれを想起させるものだった。
たとえば、冬の岩内では屋外で描くことが難しかったため、彼は室内にモチーフを置いて静物画を描いたという。
りんご、花瓶に入った花──
それぞれの絵に、まったく異なる色使いや構図、筆致があった。
ある絵はフォービズム的な強い色彩。
ある絵は器に入った果物を真上から見下ろす構図。
また別の絵では、遠くにあるはずのりんごを大胆に近くに拡大して描いている。
セザンヌのような多角的視点の試みも感じられた。
さらに進むと、ゴッホの構図を思わせる秋の杉の木の絵があった。
これらの作品に抱いた印象が、あながち的外れではないと確信できた出来事がある。
木田金次郎と接した人々の回想文に、彼の口癖としてこう書かれていたからだ──
「上手くなったでしょう。次はもっとよく描きます。」
このひとことに、絶えず探究し続ける画家の姿が凝縮されているように感じた。
その後、彼が読んでいた本を紹介する展示を見つけた。
ルーヴル美術館の印象派の画集や、ゴッホに関する文献が並んでいる。
──すべてが繋がった。
木田金次郎の時代と、近代西洋美術の巨匠たちの時代は地続きだったのだ。
そして彼には、それらの作品に触れる機会が確かにあった。
東京での学生時代や、札幌での展覧会。
彼はその目で、同時代の巨匠たちの絵を見ていた。
岩内で描き続けたとはいえ、彼の周囲には多くの芸術関係者がおり、「孤独な画業」ではなかったと知って、むしろその環境の豊かさに驚く。
岩内という土地そのものも、かつては札幌からのアクセスも良く、歌舞伎や文楽といった芸術が頻繁に流入していた。
それが絵画文化の下地を育んでいたのだという。
観覧後に残った静けさ
いつもなら、私のほうが家族より早く観終わるのに、この日はだいぶ待たせてしまったようだ。
気づくと、美術館に残っていたのは私たちだけ。
静かで豊かな時間だった。
チケットに宿る、木田金次郎美術館の記憶の色
カラーパレットを作ろうと、何気なくチケットの裏をみると「リピーター割引」の文字が。
展示を観終えたときには、どこかで満ち足りていたのに──
チケットが、またそっと火を灯す。
北海道岩内町に訪れる理由が、またひとつできた。
