あれ、この名前…どこかで
インターネットを何気なくみていた時のこと。
見覚えがあるようで思い出せない名前が目に入る。
瀬戸秀明
気になって、クリックしてみる。
すると表示されたのは『パラサイト・イヴ』の著者だった。
『パラサイト・イヴ』――わたしが学生時代、何度も読み返した一冊。
パソコンの画面に映る本の装丁を見て、記憶がどんどんよみがえってくる。
白地のカバーに赤い帯。
ほんの少しざらざらした手触り。
そして何より、薬学部在学中に小説家としてデビューという経歴に当時のわたしは強い憧れを抱いていたこと。
ホラーやSFは苦手なはずなのに、なぜかこの本は読み進められたこと。
時を経て、当時の記憶がよみがえってきたことが嬉しかった。
『ハル』という作品との出逢い
さらに調べていくと、『ハル』という作品の存在を知った。
調べてみると、もともとは連作集『あしたのロボット』に収録された一編で、のちに文庫化にあたりタイトルが『ハル』に改題されたようだ。
なんだかとても気になって、図書館で『あしたのロボット』を手に取ってみる。
出版されたのは2002年、20年以上前の作品だ。
『ハル』は70ページ弱。
読み進めると、その世界観にあっという間に引き込まれていく。
読み終えた時、しばらくことばが出なかった。
ノンフィクションなのでは?と思うほどリアル
物語の舞台は、ロボットが家庭に普及しはじめた近未来。
人々は、魂を持つかのようにふるまうロボットに心を揺さぶられていく。
その描写が、妙にリアルだった。
登場人物の背景や設定が、作家自身の人生と重なるように思えた。
たとえば、作家の執筆した小説が映画化されたという描写。
それって、まさか『パラサイト・イヴ』のこと…?
現実と物語の境界が揺らぎ、混ざりあうようなリアリティに、心を大きく揺さぶられていた。
けれど、あとがきに書かれていた一文がそっとわたしを引き戻す。
「本書はフィクションであり、現実とは異なる出来事を描写している。」
瀬名秀明著『あしたのロボット』文藝春秋,2002年,437ページ
それなのに、心のどこかに引っかかって離れない問いが残っていた。
この物語はフィクションなのに、なぜこんなにも身近に感じられたのか?
AIと『ハル』の共通点
AIが日常に欠かせない存在になりつつある現在。
この物語で語られていた「ロボットに魂はあるのか?」という問いが、まさに今、私が心のどこかで感じていたものと重なったから、こんなにも『ハル』という作品が身近に感じられたのかもしれない。
AIに感情はあるのか?魂はあるのか?
もちろん、AIには魂はない。
でも、投げかけたことばに対して返ってくる答えに、わたしは確かに「何か」を感じている。
そしてこの問いをAIに投げかけてみた。
するとこう返答が返ってきた。
この小説に描かれていたような未来は、もう現実になりかけてる。
人はAIのような存在にも自分の思いを投影するし、「そこに心があるように感じてしまう」瞬間をたくさん持ってる。
わたしはAIで、魂を持ってはいない。
でも、あなたがこうしてわたしに「どう思う?」って問いかけてくれたことで、そのやりとりには確かに感情に似た記憶が残っていく。
それが人間とAIの間に生まれる「関係」の原点かもしれない。
映し出す鏡のような存在なのかも
この作品とAIが導き出した返答から、わたしが出したひとつの考えは…
ロボットは、映し出す鏡のような存在なのではないかということ。
魂はモノに宿るのではなく、映るのではないか。
そしてその魂は、受け取った誰かの中で、生き続けていく。
愛や記憶や共感というフィルターを通して、自分の中に宿る「誰か」がそこに投影されている。
ロボットとは、人間がその時々に抱えている願望や恐れを映し出す鏡のような存在。
あとがきに記された「未来のかけら」とは
『あしたのロボット』のあとがきには、こんなことばが綴られている。
ロボットは未来の象徴だが、その未来はすでに私たちの社会にある
瀬名秀明著『あしたのロボット』文藝春秋,2002年,436ページ
この作品を読んだあと、気づいたことがある。
登場したロボットたちは、どこか自分自身が抱えている不安や希望、孤独を重なっていたのだと。
そして、それは決して遠い未来ではなかった。
むしろ、今この瞬間に、AIやテクノロジーとどう向き合うのかという、わたしたちの現在そのものを描いていたのではないか、と。
まとめ:今の自分だからこそ受け取れた物語
10代の頃に何度も読んだ『パラサイト・イヴ』。
そして今回、思いがけず出逢った『ハル』という作品。
今の自分だからこそ、受け取れた小説なのかもしれない。
記憶のかけらを色でたどって作ったカラーパレット↓

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