ルーブル美術館、突然のストライキ
2025年1月、ルーヴル美術館が大規模改修に入るというニュースを目にした。
2026年からEU圏外の居住者の入館料が引き上げられる予定らしい。
それだけでも驚いたのに、つい先日、美術館が突然ストライキにより閉館を余儀なくされたという記事を見かけた。
その瞬間、20年近く前の記憶がよみがえる。
観られなかった《最後の晩餐》のこと
2008年、わたしはツアーでイタリアを訪れた。
旅の目的のひとつは、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》をこの目で観ること。
申し込みの時点で《最後の晩餐》の確実な鑑賞は保証されていなかったが、可能性に賭けた。
渡航前にこのツアーでの予約は取れないと判明。
諦めきれず、鑑賞チケットや交通手段を確保し、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を訪れることにした。
ところがイタリア渡航中、ツアー会社から連絡が入る。
「ストライキの情報があります。現地に行っても観られないかもしれません」と。
それでもわたしは予定通り現地に向かうことにした。
もしかしたら観られるかもしれない、という期待を捨てきれず、半ば意地になっていたのだろう。
ベローナからミラノへ。
見知らぬ土地で不安だらけのなか、やっと辿り着いた教会。
入口へ駆け寄ると、この貼り紙があった。

お知らせ
2008年11月7日、労働組合の呼びかけにより、省庁に勤務する一般職員による終日ストライキが予定されています。
このストライキにはレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」が展示されている施設のスタッフも含まれます。
この労働争議により、当日は美術館が一部または全面的に閉館となる可能性があります。
張り紙のある扉の入り口は固く閉ざされていた。
結果はわかってはいたけれど、やっぱりショックだった。
遠くまで来たのに。あんなに楽しみにしていたのに。
それでもせめて、来た証しを残したかった。
この張り紙を写真に収め、近くに見つけた本屋に入り《最後の晩餐》の小さなポスターを買った。
作品は観られなかったけれど、あの時のわたしの感情は、この写真に刻まれている。
今だから見える、ストライキの向こう側
それから時が経ち、今また、「観たくても観られない」状況のニュースに出逢った。
ルーヴル美術館で起きた突然のストライキ。
予定を立てて、観覧を楽しみにしていた人たちはどんな気持ちだっただろう。
あの頃のわたしはただ悔しくて、どこか納得できなかった。
でも今は…
観光客が爆発的に増え、施設の疲弊や働く人の声が無視されることがあると知り、あの時の貼り紙の向こうにいた人たちのことも考えるようになっていた。
オーバーツーリズム、施設の疲弊、見えない負担。
観せる側が疲れ果てていたら、芸術も守れない。
作品がある場所に行けば鑑賞できることは当たり前ではない。
その裏側には、それを懸命に支える人たちがいる。
美術作品を観るということ
わたしは《最後の晩餐》を観ることができなかった。
でも、そのときの記憶は20年近くたった今でも鮮明に残っている。
美術作品を観るということは、その場所に行こうとした自分ごと、心に残すことなのかもしれない。
追記:あの時買ったポスターの色とメッセージ

観られなかった《最後の晩餐》の代わりに買って帰ったもの。
あの時の思い出をカラーパレットにしてみようと、久しぶりに手に取りました。
裏面にはこう書かれています。
「開いてみてください。レオナルドが描いた《最後の晩餐》の複製と、その数奇な運命の物語がここにあります。」
あのときのわたしが、いつかこの物語を語る日を待っていたのかもしれない。